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おどりば

ロースペックうつ病患者のブログ。寛解をめざして!

文章はストライク時々デッドボール。自分のためにならないものは避けよう。

コラムのようなもの コラムのようなもの-オピニオン

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こんにちわ、サユです。

とりあえず、できることからやっちまえ、が基本方針です。

でも、その「とりあえずやっちまう」ことすらできないくらい体調が落ち込むことがあります。うつ病人ですから。

こうなるとどうしようもない、自己啓発と呼ばれる類の全てのものが私を見下しているような感覚に襲われます。なけなしの向上心で、オススメの記事をネットで開いてみても、ダメージをくらうばかり。

追い打ちをかけるように、「お前はこんなこともできないのか」「だからお前は脱落者なんだ」なんていう声がどこからか聞こえてきちゃったりして。

あいたたた。

 

自分に向けて書かれていない文章を読んで、ダメージを受ける。私はそういうことがよくあるんです。

どうしたらいいんでしょうね、こういうのって。

 

 

文章には「理想の読み手」がいる。

何かを読むときに、まず心得なくてはならないのは、全ての読み手のために書かれた文章なんて無い、ということです。

文章の書き手は、ただ事実を伝えるだけのレポートでもない限り、多かれ少なかれ読み手のことを想定して言葉をつむぎます。

 

例えば「エリートが語るキャリア論」という記事があった場合、これは「若きエリート」あるいは「エリートのタマゴ」と呼ばれる人たちに読ませて納得してもらうことを想定した文章であろう、と予想できます。

この「エリートが語るキャリア論」を、もうすぐ30歳のロースペックうつ病ニートな私が読んでも、何も得るものが無いというのは言うまでもないことでしょう。どこをどう考えたって私のために書かれた文章じゃありませんからね。

 

「エリートが語るキャリア論」というのは極端な例ですが、どんな文章にも「理想の読み手」というのがいます。

「理想の読み手」のために文章は作られます。

特定の層を狙って書いた文章でなければ、たいていの場合「理想の読み手」は自分、すなわち書き手に近いスペックの存在です。

「エリートが語るキャリア論」が「エリート向け」だと判断できるのは、書き手が「エリート」だからです。

 

さて、ここで問題になるのが、「理想の読み手」から大きく外れた人物が、文章を読んでしまった場合です。

 

 

「理想から外れた読み手」が読んだ場合。

「エリートが語るキャリア論」は、タイトルからして、ハイレベルなチャレンジにあふれた内容に違いありません。

これを体調が落ち込んでうつ状態になっている私が読んだ場合、どうなるでしょうか。

私はきっと自分の能力が低いことに絶望するでしょう。落ち込むでしょう。何一つ真似ができないと嘆くでしょう。そして攻撃的な気分になることでしょう。自分に対しても、「エリートが語るキャリア論」の著者に対しても。

だって、自分との差を見せつけられたら、妬ましくないわけないじゃないですか!

 

でも、私がいくら「悔しい!妬ましい!」と憤慨してみても、「エリートが語るキャリア論」の著者には関係の無い話です。この著者は、自分の経験を後輩エリートに伝えたかっただけなんですから。「理想の聞き手」から外れまくった私のような立場の人間がこれを読んだ時にどう思うか、なんてことまで考えて文章を書くことは、まず不可能でしょう。

「全ての読み手のために書かれた文章なんて無い」というのは、そういう意味です。

 

それに、「全ての読み手」に気を遣ってしまったら、せっかく書いたのに伝えたいことが伝わらないという結果を招きかねません。相手に訴えかける文章を書くためには「読み手」を想定することが必要だ、というのは基本中の基本ですからね!

 

 

文章はストライク時々デッドボール。

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ネット上の情報は、ネットが利用できる環境にある人間ならば、誰でも見ることができます。

誰でも見ることができてしまうがゆえに、メッセージ性の強い情報は厄介です。

書き手が意識する「理想の読み手」にはストライクで届きますが、「理想の読み手」から外れる人物にとってはデッドボールにしかならない。時には、予期せぬ相手がヘルメットを投げ捨てて書き手に殴りかかってくるかもしれない。

自分の意見をそのまま伝えた結果「不適切な表現でした」と謝らざるを得なくなっている書き手を時々目にするのは、ネットに流れた文章が「理想の読み手」から外れた人へもちゃんと届いているということの証明でしょう。

 

このことに関して、書き手が完全な対策を講じることは難しいように思います。

どんなに気をつけたって、世の中の大多数に向けた文章を書いたって、世界の全員にストライクで届くことなんてありえません。

自分の意見を述べたいと思ったら、デッドボール覚悟で主張するべきでしょう。

 

対策を取れるのは、読む側です。

自分に向けて書かれていない文章は、早々に見切ること。

それでもうっかりダメージを食らってしまうのはどうにもなりませんが、タイトルからして明らかに自分に向いていない文章は避けるとか、デットボールを投げてきそうなアカウントをブロックするとか、手段はいくつかあると思います。

ネガティブな考え方だと思われるかもしれませんが、自分の心を守るためです。わざわざ被弾しに飛び込む必要はありません。そんなの、書き手にとっても読み手にとっても良いこと無しですから。

ダメージを受けるとわかっていながら読みたくなる気持ちもわかりますが、わかっていて読むんだったら自己責任です。傷つかないように心をしっかり持ってください。

 

そして、例えばうつ状態の私のように、心が疲れきっている時。弱り切っている時。

そういう時は、もうネットなんか見ないほうが良いです。思い切って情報を遮断してしまいましょう。元気な時ならかすり傷にもならない言葉でも、疲弊した心には致命傷になりかねません。

 

大丈夫。何日かネットから離れても、それだけであなたが世界から置き去りにされるようなことはありませんから。

 

 

私にとっての「理想の読み手」

私にとっての「理想の読み手」は、時に今の自分自身であり、時に過去の自分自身です。どん底から這い上がろうとしている人に届いて、励ますことができるブログを作りたいと常々思っています。

だから、それこそバリバリの「エリート」と呼ばれる人が読んだら、腹をたてるような内容ばかり書いているのかもしれません。私はエリートになったことがないので、わからないのですけれど。

 

できるだけ多くの人に、ストライクじゃなくても良いから、自分の文章をキャッチしてもらえるように、このブログを育てていきたいと思う今日この頃です。