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おどりば

ロースペックうつ病患者のブログ。寛解をめざして!

おどりば

死にたい気持ちを責めないで。「死にたい」って言ってしまう私の話。

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こんにちわ、サユです。

私はうつ病患者です。
30歳になったので、もう15年以上うつ病と付き合っていることになります。

あなたは「死にたい」と思ったことがありますか?
私はあります。数え切れないくらい、あります。

うつ病になったばかりだった高校生の時、「死にたい」と言ったら、仲の良かった友人にものすごく責められて、怒られて、絶交されてしまいました。

私は友人を心が許せる相手だと、信頼できる相手だと思っていたのですが、私の「死にたい」の一言が全てを壊してしまいました。
それ以来、その友人とは一切連絡を取っていません。
「死にたい」にまつわる寂しい思い出です。

「死にたい」って言う人をそんなに責めないでくれよ!
こっちだってツライんだよ!必死なんだよ!

「死にたい」という気持ちについて、実際にそう思ってしまう人間の立場から、話をしてみたいと思います。

 

死にたい気持ちとうつ病

私のようなうつ病患者に「死にたい」気持ちはありふれています。
標準装備とも言えるでしょう。
希死念慮」なんて大層な名前もついている、れっきとしたうつ病の症状の一つです。

自殺の可能性を考えた時、最も危険度が高いのは「比較的軽度のうつ病患者」だということはご存知でしょうか?

軽度のうつ病患者は「死にたい」願望を実行に移すことができるエネルギーを持っていますから、何かがきっかけになって、衝動的に行動を起こしてしまう可能性があるんです。

重度のうつ病患者は「死にたい」とは言ってもなかなか自殺はしません。
……というか、できません。
これは私にも経験があるのでよく解ります。恐らく自傷行為に及ぶ人も少ないでしょう。

だって、そんな気力、ありませんから。

だるくてしんどくて起き上がることさえできなくて、変な言い方になりますが「死にたくても死ぬ気力さえ無い」のが重症のうつ病患者の現実です。

重度のうつ病が原因で「死にたい」と日々思っていた人が、うつ病が改善してエネルギーを取り戻したタイミングで自殺してしまう、といった話を、しばしば耳にします。
そういう可能性があるから、うつ病が原因の自殺に関して一番気をつける必要があるのは、治りかけの患者なのだそうです。

やりきれませんよね。せっかく良くなってきたのに、そのタイミングで自殺を選んでしまうなんて。
でも、うつ病っていうのは、理屈とか道理が通用しなくなってしまう、そういう病気なんです。

もちろん、うつ病になったばかりで、そこまで病状が重くない患者の場合にも、同じ理由で注意が必要です。

 

 

「死にたい」はSOSです。

最近、インターネットで「『死にたい』なんて言う人はまだ甘えている。本当に死を選ぶやつは『死にたい』なんて言わない」という誤解が広まっているようなので危惧しています。

「本当に死ぬ人は死にたいとは言わない」とは限りません。
そういう人もいるし、そうでない人もいます。

大体、「死にたいって言ってるうちはまだ大丈夫」って、どういうことなんでしょう。
「死にたい」って言っている人を見て、「あいつはまだ平気だな。まだ甘えてるな。ホントにヤバくなった奴は死なないって言わないんだもんな」なんて思う人がいるということを、私は信じたくありません。
本当にそんな人がいたら、もれなく蹴り飛ばしてやりにいきたいです。

だって、あんまりじゃないですか。

ホントにヤバくなったら「死にたい」なんて言わない?
違うでしょう。
ホントにヤバくなったら死んでしまうんですよ。
行動に起こしてしまうんですよ。
それじゃあ手遅れでしょう?

「死にたい」が限界まで積もり積もっても行動に移さないのなんて、起き上がる気力すら失っている重症のうつ病患者くらいのものなんですよ。

一見元気で、普通の生活ができている人が「死にたい」と突然語り始めたら、何かあったのではないかと心配するべきです。心配するのが当然だと思います。

「死にたい」を実行するか否かに関わらず、「死にたい」と口に出してしまう状態が「普通ではない」ということは、誰もが常識として心得ておいてほしい。

「死にたい」という言葉がSOS以外の何に聞こえるんですか?

……だから、責めないでほしいんです。
責められると、「ああ、解ってもらえないんだ」って、思ってしまうんです。

 

 

「死にたい」を勝手に解釈しないでほしい。

「死にたい」のことを、どういうワケか翻訳して「生きたい」とか「しあわせになりたい」とか解釈する考え方があります。

そういう話を見かけると「日本語を勝手に翻訳しちゃダメだろ!」なんて、私は思ってしまいます。

「死にたい」には「今、私は死にたいほどツライんだ」以上の深い意味なんてありません。
……っていうか、そう言ってるんだから勝手に深読みして翻訳しないで、そのままの意味で受け取っていただきたいと思います。

もしも、あなたの身近な人が、「死にたい」という言葉を口にしたのなら。

「死にたいなんて不謹慎だ!」と責めないであげてほしい。
「死にたいって言ってるうちはまだ平気」だなんていうのは論外。
「幸せになりたいのね、わかるわ〜」なんて勝手に解釈した薄っぺらな同情だったらしない方がいいです。

まずは、「死にたい」って言わずにはいられなかった人が、現在とてつもない苦痛の中にいるのだという事実だけを、まっすぐ受け止めてほしい。

その上で、自分が相手のためにどう行動するべきか、考えてください。

 

 

死にたい気持ち、その理由。

ここからは、うつ病患者としての私の体験談になります。

うつ病、その他精神疾患と呼ばれる病の特徴として、「直接命に関わらない」という点が挙げられると思います。
死にたくなる病気ではあるけれども、うつ病が原因で死ぬことはありません。
どんなに「死にたい」と願っても、心を病んだだけでは人は死にません。

「生きたい」と願っている人がたくさんいる世の中で、死にたがりの存在はさぞや疎ましいものでしょう。

ですが、心がうつ状態になっている人にとって「死にたい」というのは一番切実な弱音で、苦痛のあまり漏れてしまううめき声で、「何もかもから逃げ出したい」とほぼ同義なのです。

自分に価値が見出せない!周りにとって自分は迷惑だとしか思えない!未来に絶望しかないように思える!もう全部嫌だ!自分が存在していることが苦痛だ!この苦痛から逃げ出したい!逃げ出すには死ぬしかない!だから「死にたい!

何もかもが苦しいんです。
ワケが判らないくらい、意識があるだけで、ただひたすらに苦しいんです。

 

 

死にたい気持ちを責めないで。

Twitterで「死にたい」と嘆く人をよく見かけます。

嘆いている人達の詳しい事情を私は知り得ません。
本当に死にたい人もいるかもしれないけれど、もしかしたら、構ってほしくて「死にたい」を連呼する人もいるのかもしれない。
そんなのは一人一人事情が違うのですから、簡単に判別する方法なんて存在しません。

ただ、私は「死にたい」という文字を見て、嘆くこの人をどうか誰も責めないであげてほしい、と願ってしまうのです。

「命は尊いものだ」「死に瀕している人に対して失礼だ」などという道徳的な理屈で「死にたい」と言うことを責める人がいますが、苦痛のあまり漏れてしまううめき声を理屈でコントロールしろというのはとても難しいことです。

弱っている人を正論で殴らないでください。砕け散ってしまいますよ。

例えば、大怪我をしたら、誰だって痛くてうめいてしまいますよね?
大怪我をしてうめいている人に「痛みでうめき声をあげるなんてみっともない」なんて言わないでしょう?

「死にたい」と言ってしまう人の心は、疲労やストレス、あるいは病気でボロボロになっている状態です。
目には見えないけれど、大怪我をしているんです。
ズタズタになっていて、疲れ果てているんです。

この世界で生きることがどうしようもなくツライんです。
あまりにもツライから、痛いから、苦しいから、「死にたい」って言ってしまうんです。

 

 

言葉が刃物になる瞬間。

現在、私のうつ病はかなり改善してきていますが、そんな私でも未だに「死にたい」と言ってしまうことがあります。

「死にたい」という言葉を発する時、私はザリザリとした手応えを感じます。
……そう、手応えです。

「死にたい」という言葉を発する時、私は「斬れ味の悪い刃物で誰かを斬りつけている」という明確なイメージを持ちます。
同時に、斬られた相手の痛みを想像します。

その手応えと、相手の痛みを思う時、相手に対して心の底から申し訳無いと思うと同時に、私は自分が間違いなく生きているのだということを実感します。

身勝手な話かもしれませんが、「死にたい」と口に出した時、その言葉に対して何か返答が欲しいわけではないのです。

もしも、相手がオロオロして必死に慰めたり、あるいは責めたりしてきたら、私はきっと「この相手に『死にたい』苦しみを打ち明けるのはもうやめよう」と思うことでしょう。

「死にたい」という言葉を発することによって、自分が生きていることを思い知り、そう簡単に死ぬことはできないということを思い知り、自分の中から「生きたい」という声が返ってくることを期待しているんです。
自分からの返答に期待しているんです。

生と死はコインの裏表だと表現されることがあります。
表があることを意識すればするほど、裏の存在をも意識せざるをえない。

人間は、死を強く意識すればするほど、生を強く実感する生き物だと、どこかで目にしました。 哲学書だったでしょうか。
……だとすれば、「死にたい」と口にするのも、一種の自傷行為にあたるのかもしれませんね。

 

 

必死に生きているんです。

「死にたい」と口にして、あえて誰かに聞かせることによって、なんとか少しでも自分の「生きたい」気持ちを引き出そうとしている。
そういう人間も世の中にはいるんです。

全員がそうだとはいいません。
ただ、私はそうでした。

「死にたい」という一番深刻で重大な弱音を口にしてしまうのは、心が壊れてしまいそうになっている人の、必死の抵抗である場合もあるんです。

「死にたい」という言葉を聞いて気分が晴れる人はいないでしょう。
「そんなことを言うな」と責めてみたり、「じゃあ死ねば」と突き放したくなる気持ちもわかります。
……そう。かつて「死にたい」と言った私に激怒して去っていった知人の気持ちだって、私にはわかるんです。

でも、もし、あなたの身近な誰かが「死にたい」と声に出したならば、どうか静かに寄り添ってあげてほしい。
話を聞いてあげてほしい。
一体その身に何が起こって「死にたい」という言葉が出てしまったのか、気にかけてあげてほしい。

そして、死にたくなるような苦痛に苛まれながら、それでも必死に生きているのだということを、理解してあげてほしい。
そう願っています。

 

 

死にたくなった時の対処法。

正直なところ、死にたくなってしまった時の有効な対処法を、私は未だに見付けることができません。

「死にたい」気持ちはいつだって嵐のように突然襲ってきて、心を好き勝手にぐちゃぐちゃに踏み荒らしていきます。

一度「死にたい」が襲来すると、ゲームをやって気を紛らわせても、面白い動画を見て笑っても、ふと我に返るとやっぱりまた死にたくなってしまいます。消えたいと思ってしまいます。

どうしようもないので、私は、ただひたすら耐えることしかできません。

死にたくなるのは疲れているからだ。嫌なことがあったからだ。病気だからだ。発作みたいなものなんだから、必ず収まる

そう念じて、嵐が去るのをじっと待ちます。

可能ならば眠ってしまいますが、眠ることができないときは、できるだけ何も考えずに、頭を空っぽにして、深呼吸を繰り返します。
泣ける時は泣きます。
自分の思いを紙に書き殴ってみることもあります。
苦しい胸の内を素直に吐露できる相手がいるならば、話を聞いてもらうと少し楽になるかもしれません。

そうやって耐えていると、そのうち、襲ってきた時と同じくらい唐突に「死にたい」が去っていきます。
それまではとてもツライ時間を過ごすことになりますが、必ず「死にたい」が去っていくと信じて、なんとか耐えてやり過ごす以外の方法を私は知りません。

こんなに長くうつ病患者をやっていても、「死にたい」を自在にコントロールすることはできません。
苦痛を訴える心の悲鳴は、意志や気合いやテクニックで押さえつけられるものではない、ということなのだと思います。

 

 

それでも生きていく。

「死にたい」って思った時に何かの歯車が噛み合ってしまうと、人は死にます。
よくよく考えた上で決意して死んでしまう人もいるけれど、ふっと息を吐いた瞬間に歯車が噛み合って死を選んでしまう人もいます。

その「歯車」を噛み合わせないように、日常の一部として「死にたい」気持ちを抱えながらギリギリのところで耐え続けるのが、私にとって「生きる」ということです。

それは決して楽なことではありません。
「死にたい」とまでは思わない時だって、生きることをツライと感じることはしょっちゅうあります。

でも、この苦しみが一生続くハズは無いと、私は信じています。
15年経ってもうつ病は治らないけれど、少しずつは良くなってるんです。
だから、時々「死にたい」って言いながら、今日も生きています。

 

もしも、あなたが「死にたい」気持ちに襲われているのならば。
あなたを「死にたい」と思わせるものからは、できる限り逃げてほしい。
あなたを「死にたい」と思わせてしまうものが「正しい」なんてことは、絶対にあり得ないのだということを、どうか覚えておいてほしい。

私は、生きます。