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おどりば

ロースペックうつ病患者のブログ。寛解をめざして!

批判は嫉妬だ、って決めつけちゃって良いの?

コラムのようなもの

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こんにちわ、サユです。

社会の最底辺の住人を自称する私には、「嫉妬される」ということがありません。

30歳うつ病ニート独身女(月3万円のローン支払い中)。
こんな私を誰かが羨むでしょうか?
嫉妬される要素、無いでしょ。うん。

だから私には、「批判する奴は、自分にできなかったことをやろうとしている奴に嫉妬しているから批判するのだ!」という意見がすごく初歩的な部分からして理解できなかったんです。嫉妬されるっていう発想が無かったから。

「批判=嫉妬」っていう意見を聞いて、目からウロコだったよ、正直なところ。

それで、ある程度は納得したんです。
まぁ、嫉妬してる人も多少はいるだろうなぁ、と。

でも、「批判=嫉妬」で全ての批判をひっくるめて片付けちゃうような意見を目にすることが、最近立て続けにありまして。

おいおいそれはちょっと軽率なんじゃないのかね?と思ったので、綴ります。

 

 

読者は神様だと思え!とは言わないけどさ。

私は、読者は神様だと思っている自称「誠実な書き手」なので、わざわざ私の記事のために時間を割いていただけることに感謝し、その時間を無駄だったと後悔させないような記事を書かねばなるまいという思いが常にあります。

www.sayulog.com

少なくとも「読者が釣れたぞー!ちょろいぜwww」という発想は生まれようもありません。
読者を馬鹿にするような発言、文字にして残そうとは思わない。

そんな私ですから、読者様が私の記事を読むだけでなく、さらに時間を割いて私を批判してくれたのだと思えば、その批判を「全部無視」なんて畏れ多くてできません。とてもじゃないぜ。

このブログの1ヶ月のPVは1万とちょっと程度です。
ブログとしては零細と呼べるでしょう。
ですから、私がちょっと軽率な記事を書いても、寄せられる批判の数は限られています。

だから私は批判は全部読みます。
これは明らかにタイトルしか読んでないなー、みたいな場合はスルーしますけれども。

10万PVを超えるような、たくさんの人が見に来てくれる大規模なブログなら、きっと批判もたくさんくるのでしょう。
全部無視したくなる気持ちが想像できないこともないです。

 

ちょっと話が逸れました。
問題は「批判は嫉妬」だと決めつけてしまうことです。
これって、批判を全て無視するよりも予後が悪いんじゃないのかな?
だって、批判してきた相手を見下しているから。

無視するならまだ平和だけど、散々批判された後で「みんな嫉妬してるんだな!」とうっかり口走ろうものなら、批判してきた相手を全員敵に回すことになりますよね。
仲間内で愚痴るくらいなら構わないと思うけれど。

都合の悪い批判は全部嫉妬だってことにして、自分の意見を許容してくれる人と応援してくれる人だけを見るようにしたら、どんどん視野が狭くなってしまうんじゃないかなぁ。

視野が狭くなるってことは、共感力と想像力が無くなっていくってことだ。それって生きていく上で絶対損だよ。

 

 

自信があるように見えないんですけど。

「批判=嫉妬」だと断言する、その自信はどこから出てくるんだろう。
自分は絶対に正しくて周りから羨ましがられるようなことをやっている!っていう自信。
どっから出てきてるんだろう。

そんなに自分が正しいと思ってるのなら、批判は全部受け止めればいいじゃないか。
あるいは無視すりゃいいじゃないか。
何言われたって関係ないじゃないか。

出る杭は打たれるって言うよね。
でも、打たれる程度なら所詮その程度でしょ、っていうのが私の持論。
私は出るどころか他の杭と同じ高さに立つこともできないわけだけど、この際それはどうでもいい話。

大きな決断をブログで発表してる人を見ると、「杭がわざわざ打たれにきたよ…」なんて思ってしまいます。
批判されるのが嫌だったら、わざわざブログで発表するもんじゃなーいよ、ってね。

批判されることとPV増やすことを天秤にかけてPVを選んだんでしょ。
だったら、一部の賛同とPVアップで満足して、甘んじて批判されなさいな。

そう思ってしまう私は冷たい人間なんでしょうかね?

 

ダメだ、また話がずれちゃった。
「批判=嫉妬」の話に戻ります。

批判のことを「お前にできないことをやろうとする自分への嫉妬」ってわざわざ言っちゃう人がいると、自分の正当化に必死になってるように見えちゃうんです。
批判に対して過剰に反応してる様を見ると、そんなに自信が無いのかな?って思えてしまうんです。
涙目で「自分は正しいもん!」って言ってるように映るんだ、私の目には。

お願い、ダサいから、見てて痛々しいからもう黙ってて、って思っちゃうんだ。

 

 

思いやりの結果が批判であることもある。

ブログで批判を浴びた時に、「批判=嫉妬」と決めつけちゃう意見には疑問がもう一つ。

批判の中に、真剣にブログ主を思いやった上での批判がある可能性を、どうして考えないんだろう?
どうしてその可能性を排除できるんだろう?

私はブログがバズったことも炎上したこともないから、批判が雨あられのように降り注ぐなんて事態はまだまだわからない世界だけれど、私の記事に寄せられる批判意見からは思いやりが感じられることが多いんですよ。

それは私に対する思いやりだったり、記事を読むことによって不利益を被るであろう人への思いやりだったり……はてなの読者はレベルが低いとかいう意見をどこかで見かけてちょっと腹が立ちました。
良い読者さんだっていっぱいいるじゃないか。

どんな炎上記事にも善意で批判のコメントを寄せている人が絶対にいる。
悪意の批判コメントもそりゃあたくさんあるけれど、はてなの人って思っていたより優しいんじゃないかとさえ私は思っています。

私の頭の中がお花畑?
今はまだ恐ろしさを知らないだけ?
そうなのかもしれませんけれども!!

とにかく、全部ひっくるめて嫉妬だと判ずるのは軽率だし、もったいないんじゃないのかい?と言いたいのです。

もし批判を浴びたブログ主が「嫉妬してるから批判するんだよね」という内容の記事を書いたら、怒るのは思いやりから反対意見を述べた人達です。
ちょっとおせっかいかもしれないけど親切な、良い読者さん達です。
良い読者さん達を敵に回したら、ブログやっても楽しいことなんて何もないじゃないですか。
読者あってこそのブログだと思うんだけどなぁ。

ブログは炎上させてPVのハイスコアに挑戦するゲームじゃないんだからさ。

 

Verba volant, littera scripta manet.
言葉は飛び去るが、書かれた文字はとどまる。

仲間内で冗談交じりに愚痴るなら別に構わないんだ、本当に。
ただ、ブログとかツイッターとかの投稿は、消さない限り残るから。
どの程度ふざけて言ってるのかも見えないし。
消すってことは、ある程度自分の間違いを認めるってことになるし。
強い言葉を投稿するんだったら、それなりの覚悟が必要だよね。

……すみません、まとまりませんでした。
ちょっともやもやしすぎました。
最後まで読んでくださった全ての読者さんに感謝。