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おどりば

ロースペックうつ病患者のブログ。寛解をめざして!

おどりば

悪人の話。

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暴言を吐いた。

 

実は昨日「どうしても他人を傷つけたくてどうしようもなくなることがある」という記事を投稿しようと思っていた。
書き上げる元気が無かったことが自分にとっては幸運だった、今となっては。

私は自分のことを「善人の皮をかぶった悪人」くらいに思っていて、善意でブログをやっているのかと聞かれたら迷いなく「No」と答える。
……かといって悪意でやっているわけでもないけれども。

ただ、自分のためにやっていることが結果的に誰かのためになるという夢のようなことが私の手元では日々起こっていて、その奇跡性に対してすっかり鈍感になっていた。

何を考えていたかというと、悪人になりたかったのだ。
理由は特にない。そういう気分だったのだ。
自分のどす黒い部分を大人しく胸の内に収めておくことが後ろめたかった。
柔らかい心の持ち主達にまっすぐ応援されることが後ろめたかった。
「いや、コイツこんな悪人なんだぞ」ってアピールする緊急の必要性を感じていたのだ、昨日までは。

被害者に罵られてどこかホッとしたのも事実だ。迷惑な話である。

 

たとえば普段温厚な女の子が生理前でイライラして誰かをひっぱたいたとして、ひっぱたかれた方は痛い。痛いもんは痛い。
生理前でイライラしていたとか、普段は温厚だからとか、そんなのは相手の都合であって、痛みに情状酌量は通用しない。事情に関わらず結果は残る。

薬を変えた、サプリも変えた、ついでに生理前、メンヘラ絶好調、そんなこんなが重なって、自分の感情のコントロールを失った。
コントロールを失ったというよりは、暴走に気付かなかったというべきか。どっちでもいい話だけれど。

以前、私に大変な暴言を吐いてきた人が、翌日顔を蒼くして謝罪してきたことがある。「自分はなんてことを言ってしまったのだ」と言って。
その時はイマイチ納得できなかった。
残念ながら今は理解できる。

敵意と嫌悪を持って相手を見据える時、相手はサンドバッグになる。どうやっても傷付かないサンドバッグになる。だからいくらでもぶん殴る。なんとか傷付けようとしてぶん殴る。相手の痛みを想像することはない。だって相手はサンドバッグなのだから。

小学生の時、同じクラスの男子に対して、一度だけキレたことがある。
口下手な私は迷いなく暴力に訴えた。
相手の痛みなんか考えなかった。力の限りぶん殴った。その時の感覚とよく似ている。

残念ながら、相手をサンドバッグだと思っているのは自分だけである。
相手に蓄積された痛みと、周囲からの冷たい眼差しに、早く気付かないと手遅れになる。

泣きながら家に帰って事情を説明した私に、父親は「お前の負けだ」と言った。

 

以来、どんなに頭にきても腹が立っても理不尽でも、自分をサンドバッグにするよう心がけてきた。相手を殴るくらいなら自分を殴った。
それで全て丸く収まっていたのに、何を突然、怒りの矛先を他人に向けようなどと思い立ったのか。

理由は特にない。そういう気分だったのだ。
だからどうした。事情に関わらず結果は残る。

 

不快な思いをさせた相手に対しては、一方的に私が悪い。
他人に向けて話しているのを立ち聞きして、私が勝手に不満を募らせていただけだ。
今回の相手だけに向かって呪詛を吐いていたわけではない。つまり余罪はいくらでもある。

この通り私は悪人だ。
今後一生、この記事が過去記事の中に埋もれても、善人面することを後ろめたく思いながら「善人の皮」をかぶりつづけるために、ここに記しておく。