おどりば

ロースペックうつ病患者のブログ。寛解をめざして!

死んで解らせてやる!と思ったけどやめた話。私の死はそんなに重くない。

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こんにちわ、サユです。
今日はネガティブな話を書きます。
自分の中に溜まっていた膿を全部吐き出すつもりで書きます。
このブログは、自分の精神安定のためのツールという側面も持っているので、その効能を存分に活用したいと思います。
お目汚しです。あらかじめ謝っておきます。スミマセン。

 

最近、うんざりしていました。
私のことを誹謗中傷する記事をご自身のブログに熱心に投稿している人がいて、その記事を読んだ人からTwitterで「これがこの記事の人だよ」なんて指差されたりしていたので。

私がどんなに精一杯自分のブログに事実を書いても、歪められた話だけが広まって、私は卑怯で不正なクズとして後ろ指を差される人間になりました。

本当にもう、うんざりです。
だから、死のうと思いました。
死んで、自分が本当にうつ病であることを証明しようと思いました。

私のことを誹謗中傷した人を名指しして、お前の所為で私は死ぬのだ、お前の望み通り私は死ぬのだ、人殺し!と訴えた上で死のうと思いました。

そのための記事も用意しました。
睡眠薬ならたくさん持っています。全部飲めば無様に死ねるでしょう。

 

私には、自分が死ぬ以外に自分の病の重さを証明する方法が判りません。
人生をメチャクチャにした病を疑われることがどれほどの苦痛か。
やってもいない不正をやっていると吹聴されることがどれほどの屈辱か。
……想像力の欠如した人達には生涯知る由もないのでしょう。

私の主張に一瞥もくれない人達が、私を指差して一方的な偏見と思い込みで嘲笑う。
この理不尽を、生き地獄を、何故私は耐えなければならないのでしょう。

ああ、生きていることはこんなにも馬鹿馬鹿しい!!

 

死ねば、私の正当性は証明され、私を貶めた人々に「人殺し」のレッテルを貼ることもできるし、これ以上苦しみの中を生きる必要も無い、闘病する必要も無い。
まさに良いこと尽くし。

この記事を書いている今でさえ、繰り返し「やっぱり死のうかな」という思いに襲われています。
「死」が至極まともな選択肢に見えています。
こんなに良いことだらけなのになんで死なないんだろう?と真剣に思ってます。

 

結論から言えば、私は自殺しませんでした。
だからこそ、この記事を投稿できているワケですけれども。

「支えてくれる人達に『死なないで』と言われたから生きます」とかいう綺麗な話をするつもりはありません。
「死なないで」って言われて死ぬのをやめるくらいなら、普段他人に「死ぬな」って言い続けてる私が自殺なんか考えませんよ。

 

いじめた側は、すぐに忘れてしまう。

虐められた子供はそのことをいつまでも忘れない、けれど虐めた子供は自分が虐めていたことをさっさと忘れてしまう

そんな話を何度も聞いたことがあります。
かき集めた睡眠薬と睨めっこしながら、思い出したのはその話でした。

私の死によって、もしかしたら一人分のネット人格を死に追いやることくらいはできるかもしれない。
でも、きっとその人は私のことを忘れるだろう。
名指しで非難したって「自殺なんて死んだ奴が悪いんだ、自分には関係無い」とか嘯いて、反省することもなく、今までと何も変わらない生活を送っていくだろう。
あるいは「社会のゴミが死んで清々した」とか笑っているかもしれない。

そう思ったら、鳥肌が立つほどムカつきました。
許せないと思いました。

死んで呪い殺せるならそれでも良い。
でも、私は死後の世界の存在はあんまり信じていないし、死後の世界があったとしても憎い人を呪い殺せるほど都合の良いものだとは思えない。
もしもそんなに都合の良い話があるなら、いじめで自殺した子供たちが、加害者を無事に生かしておくハズがないですからね。

死ななければ私の正当性は証明できない。
でも、死んだら何もできなくなってしまう。
精神疾患への偏見も誤解も、私が死んだところで何一つ改善することはない。
私はただの「うつ病に負けて死んだ人間」になってしまう。

死ぬくらいじゃ何の復讐にもならない。
私一人死ぬくらいじゃ何も変わらない。

憎いのです。
許せないのです。
復讐したいのです。
でも私は無力で、全てを捨てて死んだところで相手にかすり傷一つ負わせることはできないのです。

うつ病寛解させて、体調を安定させて、私のことをありったけの暴言で罵ってきた人を見下してやりたい。
ちゃんと就職するなり、手に職をつけるなりして、誰も私を社会のゴミだと呼べないように、いつか必ずなって見返してやる。
……なんて言うと、私を誹謗中傷した人のお陰で自殺を思い留まったように聞こえるかもしれませんが、そもそもその人がいなければ私は死のうなんて思っていませんからね。そこは誤解しないでくださいよ。

 

こんな話を書いたら、きっとまた「グダグダ言ってないで今すぐ就職しろ」とか「大人しく死ねば良いのに」とか言われるのでしょうね。
ならば「あなたが不愉快なら私は嬉しいし、あなたが生きている限り私は死なない」とでも書いておきましょうか。
根性がひねくれてるって?なんとでも言えば良い。
私は自分の性格を非難される分には痛くも痒くも無いのです。

ゆっくり体調を整え、体力を付けて、万全の状態を整えたらまともな就職先を見付けて、結婚はしないだろうけれど、自分こそ弱者だと主張して他の弱者を叩く人を上から見下ろして「可哀想に」って慈愛の笑みを浮かべてやろう。

そうやって、私にできる精一杯の復讐を思い描いて心の慰めにしています。
いつか実現させるために、私は生きなければ。

  

年金について、改めて説明します。

私は障害年金を受給しています。
年金のお陰で費用のかかる治療にチャレンジすることができているので、とても感謝しています。
受給の事実を積極的にアピールするつもりはありませんが、今更隠すのも不自然なので、改めて私の側からの主張をさせていただきます。

不正はありません。
社労士の力を借りずに、ちゃんと診断書(主治医がちゃんと書いてます。私は一切内容に口出ししていません)を貰って申請し、国の審査を通ったから障害年金の受給が許されています。
正当な手続きを経て受給することに不正があるというならば、責められるべきは私ではないでしょう。
私にこれ以上の正当性を証明しろと言われたら、やはり死ぬ以外に方法はないと思います。

また、「元気になった時に年金払ってくれるなら別に今貰っていても良い」という意見もいただきましたが、私は現在年金を支払っています。
元気になってないし働いてもいないけれど支払ってます。

私は何か悪いことをしているでしょうか?
何か責められなければならないようなことをしているでしょうか?

 

今、言いたいこと。

私が嫌いならそれで良い。
嫌いだと、気に食わないと言えば良い。
ただ、私への嫌悪をやってもいない不正で包んで撒き散らすのはやめてほしい。
そんな卑怯な手段を使わなければ、私みたいな小物一匹叩き潰すことができないんですか?

Twitterやブログでは、楽しいことばかりを前面に出すように心がけてきました。
うつ病でも前向きに希望を持って生きていけるということ、「死にたい」思いを抱えている人達に生きていくのは楽しいのだということを示したかったからです。

でも、私がTwitterで「ゲームで遊んだ」と言うと、そこだけ切り取って「不正受給して遊んでる」と責められるのです。
30分遊んだら1時間以上寝込むような状態で、ロクに楽しめていないということなんか知りもしないくせに!

 

「本当のうつ病はそんなんじゃない」と、他人の病気を勝手に評価する人が散見されます。
それはその人がうつ病のごく一部しか知らないだけのことです。
大抵はただの知識不足です。
うつ病患者が訴えている苦痛は事実です。どんなに理解の外であっても事実です。
自分の知識と想像力不足の非を、患者に押し付けるのは本当にやめてほしい。

自分の知っている範囲、見えている範囲の「外」があるということを、全ての人が心に留め置けるようになったら世界は大きく変わるだろうに、どうしてそう上手くいかないんだろう。

 

私は年金の受給を隠しません。
いつか年金から卒業できたら、それもまたブログのコンテンツにしたいと思っていますから。

ただ、受給を考えている人、今受給している人達には、ネット上で受給を公開すると私のような目に遭うので、できるだけ伏せておくことをオススメします。
私のようになってはいけません。余計なストレスは無いに越したことはないです。

もちろん、何も悪いことはしていないのだから、後ろめたく思う必要なんかありません。
悪いのは責める人たちの想像力の欠如です。
必要な人が正当な手続きを経て受給しているなら、年金だって生活保護だって正当な権利の行使です。
何を責められる必要があるのか。

 

生きるのは馬鹿馬鹿しいです。
馬鹿馬鹿しいことばっかりです。
だから私は自殺を悪いことだとは思えないし、自殺した人に対しては労りの気持ちしか湧いてきません。

でも、死んだら何もできなくなってしまう。
復讐も、報復も、死んだらできなくなってしまう。

悔しいけど、苦しいけど、死んでもう全部終わりにしたいけど、その前に私なりの復讐を、たとえ相手が私のことを忘れ去っていたとしても。

だから、死ぬのはやめました。

 

次からは、またポジティブな記事を書きます。
今後、この記事で触れた方について当ブログで言及することは二度とありませんし、私がその方の罵詈雑言を目にすることも二度とありません。

こんな話はこれで最後にしたい。そう思っています。

お目汚しでした。