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おどりば

ロースペックうつ病患者のブログ。寛解をめざして!

おどりば

先送りにする勇気、習得中。

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こんにちわ、サユです。

朝起きてから『明日やろうはバカヤロー』という言葉が頭の中をぐるんぐるんしているので、考えたことを綴ります。
いつもの自分語り文章記事ですよ。

 

 

「明日やろうはバカヤロー」

私には「先送り」とか「先延ばし」とかいう類の行動を選択することをひどく嫌う性質があります。
私はうつ病を患っていて、うつ病が私の行動に与えている影響は計り知れないものだと思いますが、この性質に関しては多分、うつ病は関係ありません。

昔から、一度やり始めると中断することが嫌で、体か心が折れるまで作業を続けないと気が済まないところがありました。
……あ、そんな調子で無茶を繰り返していたからうつ病になった、という可能性は大いにありますけれども。

作業が長時間に及び、心身に疲労を覚える頃、脳裏をよぎる言葉がありました。

明日やろうはバカヤロー

誰の言葉なのか、元ネタが何なのか、いったい私がどこで知った言葉なのかさえも、もはや記憶にありません。
ただ、妙に語呂が良くて説得力のあるそのフレーズが、「もう無理!」と訴える心身に作業を続行させるムチとして作用していたことは確かです。

「たとえ心身が悲鳴をあげても、作業はやり遂げる」というのが正しい努力家の姿であると、私は信じていました。
苦しくなれば苦しくなるほど「自分は頑張っている!」「苦しくなって来てからが本番だ!」と安心してしまうタイプの人間でした。

そんな私にとって、その明快なフレーズは、何の抵抗もなく、自分の正当性を保証する言葉としてぴったりとハマってしまったんです。

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先送りできないバカヤローの話。

私は、頑張ることと無茶することを混同していました。

おそらく『明日やろうはバカヤロー』という言葉は、普段から何でも先送りにしがちな性質を持っている人に届くべき言葉であって、私のような『先送りできないバカヤロー』のための言葉ではなかったんだと思うんです。

「先送りするな!」という教えは、私にとっては説教でも苦言でも格言でも何でもなく、ただ自分の正しさを後押ししてくれる頼もしい味方でした。

ある言葉を聞いた時に、その意味をどう解釈するかなんて、聞き手の数だけ解があって然るべきものだと思っています。
どんなに多くの言葉を尽くしても「そんなつもりじゃなかったのに!」という伝わり方をしてしまうのはままあることで、まして短く簡潔な言葉ならなおさらでしょう。

言葉自体の善悪とか是非について文句を言いたいわけではなくて、ただ、『明日やろうはバカヤロー』という言葉を聞いて、その通りだと頷きながらさらなる馬鹿野郎のドツボにハマった人間が、ここにいたんだよ、……っていうだけのお話ですね。

 

 

バカヤローの悩み。

うつ病になって、私はパフォーマンスが大いに低下しました。

うつ病になったのが10代半ばで、現在近々31歳を迎えようとしているので、若さのピークを過ぎたことによる能力低下も少なからずあるかと思いますが、それを考慮したとしても「この程度で無理なのかよ!」と、自分の心身に文句を言いたくなることが多々あります。

にもかかわらず、先送りを嫌う性質は健在です。

何かを作り始めたら一気に完成させようとして疲れ果てるし、
絵を描き始めれば集中力が切れる前に仕上げようとして完成できなくて結局投げ出すし、
一気に仕上げられなくて心が折れると、疲れ果てているからそのままどこまでも気分が落ち込んでいってしまったりして、
厄介なことこの上ないです。

毎日少しずつ、コツコツ仕上げていったって何の問題もないのに、それがどうにも苦手です。得体の知れない抵抗を感じます。

疲労を感じても作業をやめられない。
一度やめたら二度と再開できないような気がする。
何かの呪いだろうかと思うような切迫感に襲われて、ついつい力尽き果てるまで作業してしまうんです。

そんなやりかたで何かが成せるような能力を、今の私は持ち合わせていないというのに。

 

 

先送りにする勇気、習得中。

明日やろう』『明日やれば良い

最近、つとめてそう意識しながら生活しています。

うつ病という病気の症状として、そもそも何かを始めるということがとても億劫なので、運良く何かを始められた暁には、「このチャンスを逃したくない!」という気持ちが、ついついはたらいてしまいます。
……が、疲れを感じたら『明日やろう』って、切り上げるように心がけています。
切り上げられないで撃沈することもまだまだありますけれどもね。

作業を中断して、残りを明日の自分に託す勇気。
それが、今の私には必要とされているものなのだろうと、思うんです。

スペックが足りないくせに体調は不安定で、明日の自分が今日と同じくらい元気だという保証は無いから、場合によっては『明日やろう』では済まないかもしれないけれど、そしたら『明後日やろう』で良いんです。

もちろん、何もかも先送りにしたら何もできないのは当たり前だけれど、先送りを禁止して無理を通せば道理が引っ込みます。
道理が引っ込んで体を壊したのが私です。
きっと、生き方が上手な人は『先送りする分』『先送りしない分』のバランスが取れているんだろうな、って、勝手に想像してます。

幸運にも、無職療養中の私の生活には、締め切りというものがありません。
いつか就職できたなら、こんなのんきなことばかりも言っていられなくなるだろうけれど、自分の心身が悲鳴をあげるまで頑なに先送りを嫌がる私には、今のうちに、もうちょっと『先送り』を覚えさせた方が良いのかな、と。

ゆったり生きたいなんて思ったことはないけれど、ゆったりした生き方が自分の能力に合っているのなら、仕方ないよね。
ゆっくり物事を進めるのはどうにも落ち着かないけれど、焦って頑張って何も進まないよりは良いよね。

私は、年齢はもうとっくに大人だけれど、理想とはかけ離れた、その代わりに自分の心身のスペックに見合った活動様式を、手探りで、ようやく習得しようとしているところ、であるみたいです。

 

……って、言ってるそばから、この文章を一気に書いてしまいました。
早速全消ししたい衝動に襲われているので、オーバーワークだったみたいです。

本当に、まだまだ勉強中っていうか、リハビリ中です!