おどりば

ロースペックうつ病患者のブログ。寛解をめざして!

自分に厳しい人は、それだけ自分に期待している人。

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こんにちわ、サユです。

これまでに何度か、うつ病患者が周囲から「怠けてる」「甘えてる」と言われるケースについて触れてきました。
一方で、うつ病患者の中には、自分で自分のことを「怠けてる」「甘えてる」と責め続けている人が珍しくありません。

たとえ優しい理解者に囲まれて誰にも責められることなく、ゆっくり療養できる環境が整っていても、自分で自分を責めてしまう。

……私もかつてそういう患者の一人でした。

気合が足りないからいけないのだ、頑張ることを怠けているのだ、このくらいで潰れるなんて情けない、ダメ人間!!

我ながら、よくもまぁあんなに自分を虐められたものだと思います。
今でも自虐行為や自虐思考が全くないワケではないのですが、自分にいびり殺されるんじゃないかっていうくらい自分のことを責めていた頃と比べたら、かなりマシになりました。

 

自分に厳しい人々。

うつ病患者は、真面目な人が多いです。
もちろん真面目じゃない性質のうつ病患者だっていると思いますし、今の私なんか真面目さのカケラも無い感じですけれども、クソ真面目とも言うべき厳格さで自分を律しようとするうつ病患者をしばしば目にします。

私は、リアルでは他のうつ病患者との接点が全く無いので、同じ病気の知り合いといえばネットを介して知り合った人に限定されるのですが、その狭い観測範囲にも関わらず、自分を責めることが得意な人がすごく多いと感じています。
ホントに真面目な人ばかり。

周りに責められて苦しんでもいるのに、その上自分で自分を叱咤し続けている人を見ると、そんなに自分を追い込んでやるなよ、もうちょっと自分に優しくしてあげなよ、なんて思ってしまいます。

でも、ふと、自分で自分を責めまくっていた時のことを振り返って、思ったんです。
私を苛んだ、あの絶え間無い自責の念は、自分自身への期待の裏返しだったのではないかと。

もしかして「自分に優しくしろ」というアドバイスは、「自分に期待するのをやめろ」という意味をも孕んでいるのではないかと。

 

私の諦め人生。

私は、自分の能力に見切りをつけたことによって楽になった人間です。

10代から20代にかけて自分に鞭を打ち続けていたのは、自分の能力を信じていて、期待していたからに他なりませんでした。
自分を「ダメ人間!!」と罵りながら、その裏で「お前はもっとできる筈だ」って思ってました。

大学を中退する時、私は自分の能力の無さを認めて、諦めました。
それからも「諦め」を繰り返し、いつの間にか自分がどんなにダメでも別に構わなくなりました。
周りと比較することも滅多に無くなったし、自分が楽でいることを最優先できるようになりました。
メチャクチャ楽になりました。

自分の可能性を諦めるのは、多分難しいことです。
少なくとも簡単ではないです。若ければ若いほど難しいでしょう。
私の諦めだって、30歳を目前にしてようやく辿り着いた境地です。
誰だって、「本当の自分はもっとできるハズだ」って思いたいですよね。

「私は自分に期待しなくなって楽になった。だからあなたも自分に期待するのをやめたら楽になるよ」

……たとえ私にとってそれが「正解」であっても、そんなアドバイスはしたくありません。
だって、もしも、自分の可能性に縋ってかろうじて生きていた10年前の自分にそんな事を言ったら、酷く傷ついて激昂するでしょうから。

 

私にとっての「正解」は。

でも、結局私には大した才能と呼べるものはなかったし(あったとしても発揮できていないのだから無いのと同じです)、10年前の自分が目指していた「すごい自分」なんてものは虚像に過ぎませんでした。
自分に対する期待が過剰に大きかったんです。
健康な状態であっても手が届くかどうかわからないような理想像を、うつ病になっても追いかけ続けていたんです。

今思うのは、私がどん底の中で縋っていたものが虚像だったということに、もっと早く気付きたかった、ということ。

自分が大したことのない人間だともっと早く認識できていたなら、7年も浪人してまで大学を目指したり、留年してまで大学にへばりつくこともなく、もっと早くから別の人生を考えられていたんじゃないのか、と。
結果論ではありますけれども。

「虚像を追いかける」ことは、「現実の自分を認める」ことの対極にあります。
理想は、現実の自分から地続きになっている場合のみ追いかける意味があるのであって、どうやったら近付けるのかもわからない、いわば妄想に過ぎない理想像は、今の自分から目を逸らす現実逃避に過ぎません。
私はそう思っています。

10年前、どん底にいた私から、現実逃避の虚像を奪ったら、一体どうなるだろうか。
縋るものを失って二度と立ち上がれないだろうか。
それとも、自分の足元をみて歩けるようになるんだろうか。

 

……さて、もしも目の前に、10年前の私と同じような状況にある人が現れたら、私はどんな言葉をかけたら良いでしょう?

諦めないことで拓ける可能性を否定はしません。
現在の自分からかけ離れた夢や理想を追いかけることを、否定したくはありません。

否定はしないけれど、ただ一つだけ明らかなこと。
諦めなかった結果、私は人生に大きなロスを作ってしまった、という事実。
これが正しかったとは、今のところ、どうしても思えないのです。

 

自分に厳しい人、自分を責める人、自分を罰する人。
それらが全て、自分への強い期待の裏返しなのだとしたら。

私はよく、「自分に優しくしてあげてほしい」「自分を認めてあげてほしい」というアドバイスを送ります。
けれども、それって、言葉を変えたら「無理なことは無理だと諦めろ」「自分の未知の可能性に期待をするな」……っていう意味に、なり得ますよね。

それでもなお、「自分を責めるな」「自分に優しく」と伝えることしかできない自分の無力さに、少々打ちひしがれている今日この頃なのでした。