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おどりば

ロースペックうつ病患者のブログ。寛解をめざして!

おどりば

対立しない為には頭を下げるしかないのか。

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こんにちわ、サユです。
今回も文章記事です。
今朝までは絵を描こうと思っていたのだけれど、ちょっと語りたいことができてしまいました。

話題になっていたこちらの記事。

syakkin-dama.hatenablog.com

普段、この方のブログを特に読んでいるワケでは無いのですが、Twitterで繰り返しリツイートで回ってきたので読んでみました。
それに対する、わかり手さんのこちらの記事も。

menhera.jp

どちらも考えさせられる記事なので、元気があったら読んでみてください。

これら二つの記事の書き手に共通するのは、「定型発達VS発達障害の対立構図を作りたくはない」という方針です。
定型発達、いわゆる「普通の」人達に対して攻撃的な物言いをしないように、喧嘩をしないように、あくまで謙虚に、控えめに。
とりわけ、わかり手さんの記事にはそれが顕著です。

対立したって良いことはありません。
多数派には、少数派を「自分達とは違う存在」と見なして、存在自体を視野の外に追いやり、忘れ去ろうとする傾向があります。
忘れられては困るのです。
障害を持つ人間が生きていくためには、多かれ少なかれ健常者からの配慮が必要ですから。

障害、とは少し違いますが、私もうつ病患者と健常者の間を断絶を深めるような言動は控えなければならないと考えています。
例えば「うつ病患者を思いやれない健常者は死ね」のような物言いをすれば、一部の理解されないうつ病患者から強大な支持を集められる可能性がありますが、その他の、この世界の圧倒的多数を占める健常者達を敵に回すことになります。

健常者から「うつ病患者こそ死ね」とか言い返されているうちはまだマシかもしれません。
うつ病患者が健常者に「無視」されるようになったら、最悪です。
配慮を望むことさえできません。

しかし、同時に、どうしても胸の辺りがもやついてしまうのです。
病人や、障害者は、常に「配慮を求める」立場にあります。
つまり、大多数からの「配慮」を得るために、健常者に対して下手に出なくてはならない立場にあるということです。

病気になったら、障害を持っていたら、健常者に頭を下げながら生きていくしかないのでしょうか?
何も悪いことなんかしていないのに?
病気や障害と闘うだけで苦労しているのに、なんで肩身の狭い思いをしなくちゃならないワケ??

 

 

卑下することなかれ。

病気を持ってるから、障害を持っているからといって卑屈になってはいけないと思っています。
と、いうか、自分を卑下しようとしたらいくらでもできるでしょうから、「卑下しないようにしよう」と強く思っていないと、簡単に鬱状態になってしまうのではないでしょうか。

卑屈になっている人間を助けたいと思う人間はあまり多くありません。
自分は無能だから」と繰り返す人間に「無能だってわかってるなら去れよ」と返す人だっているでしょう。
そして、それはまったくもって正論です。

病気や障害を持っているなら、その上でできる限りのことをやる。
自分は弱者だと卑屈になっている暇があるなら、何とか少しでも生きやすい環境が作れないか考えてみる。
周りからの視線が多少痛くても、胸を張る。
それ以外に何かできることがあるでしょうか?

……まぁ、うつ状態になっている人に「卑屈になるな」っていうのも難しい話ではあるんですけれどもね。ちょっと無茶を言いました。スミマセン。

 

 

頼むよ上司。

私は社会を知りません。
弱者に配慮のある職場も、配慮のない職場も、知りません。

ただ、「弱者」じゃなくても、たいていの人間はいろんな欠点を抱えながら生きています。
「あの人にこの仕事をやらせると残念な結果になるから他の人に任せよう」程度のやりくりはどこの職場でもできているのではないでしょうか。

そのやりくりの延長で、例えば発達障害の特性を抱えた人を上手に戦力として活用することが、できるのではないかと思うのです。

そういう配慮あるマネジメント能力が上司には必須であると、それが当たり前であると、そんな風に語られる社会に、これから日本が変わっていくことを願ってやみません。

 

 

対立しない為には頭を下げるしかないのか?

弱者が後ろめたさの中で生きていかなければならない社会って、どうなんですか。
好きで弱者になる人なんていないのに、うっかり病気になったから、たまたま障害を持っていたから、それだけで健康な人達と対等でなくなってしまう。
それってとっても理不尽な話だと思います。

「強者」と「弱者」じゃなくて、個体差として、個性として、対等にやっていくことはできないのでしょうか。

優秀な人間に対する劣等感を消すことは難しいとしても、「無能は仕事をしない方が良い」とか「強者は弱者を排斥しようとしている」とかいう考えを消し去る術はないのでしょうか。

理想は、働きたいと思う人全てが、自分が最大のパフォーマンスを発揮できる環境で働けること。
「働きたい」という人に「お前は弱者だから働くことは許さない」と言う権利を持っている人はいないはずです。少なくとも現在の日本では。

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最後にちょっとだけ。

たとえ仕事が進まなくても、過剰な労働は負担です。
発達障害の方には、「スイッチが入れば超頑張れるけど、スイッチが入らないと全く頑張れない」という特性があるそうです。

でも、たとえ一日スイッチが入らないまま終わったとしても、勤務していることには変わりありません。
長時間労働が心身の健康に与える悪影響はご存知の通りですから、健康のことを考えるならば長時間労働の規制は当然の流れだし、受け入れるべきだと私は考えます。
「時間内に仕事を仕上げられない人間を排斥しようとしている」という穿った見方をせずに、ね。

代わりに、「スイッチが入りやすい」環境を考えて用意するとか、冒頭で紹介したわかり手さんの記事の中にあったような「長いスパンで見る」マネジメントをするように考えるとか、長時間労働を規制しながらでも、発達障害の方を戦力として活用する手段はあると思うんです。

……きっと、社会を知らない私の意見なんて、綺麗事か夢物語だと思われることでしょう。
そもそも私は発達障害の当事者でさえありません。
でも、誰も理想を語らなくなったら、夢も希望もないじゃないですか。
「目標」としての理想を語ることくらいは、許していただきたいものです。