おどりば

ロースペックうつ病患者のブログ。寛解をめざして!

私は、傲慢な人間なのでしょうか。

【スポンサーリンク】


f:id:SayuLog:20170427215034p:plain

こんにちわ、サユです。
今はちょっと立ち直ってきましたが、精神的に参っていました。
そのせいでブログの改装が中途半端になっています……お見苦しいところを(平伏)

最近、ネットを見てもテレビを見ても気持ちが明るくなるようなニュースが見当たらず、暗い将来を悲観して「でも死ぬのは怖いから生きなきゃ…」なんて、追い詰められたような気分になっていました。

思い出すのは、ガタガタの体調で必死に大学に通っていた頃のこと。
自分の目の前に道が無いと気付いてしまったあの時のショック。
崖の前に立ち竦んで、一歩も前に進めない状態。
時間が未来に向かって流れなくなって、いつまでも同じところで淀んでいる感覚。

未来を恐怖するあまり、未来に向かって生きることを拒否した結果、ここ数日間、私の体内時計は完全に止まってしまっていました。

もちろん、時間が止まるなんてことはあり得ませんから、私がどんなに未来を拒んでも時計は進むし、日付はちゃんと変わっていくのですけれども。

ショックな出来事に見舞われた時に「心の時間が止まった」という表現を用いる人がいます。
おそらく、ここ数日の私の状態はそのようなものでした。

私は、自分の心の平穏のためならば情報を遮断することを躊躇いません。
私が思い悩んでもどうにもならないような事柄は世の中にいくらでもあって、どうにもならないのに思い悩んで苦しむくらいならばいっそ知らなくて良い、愚かでも無知でも構わない、と、そう思っています。

ですが、ふと、「ここ最近の世界の動きは流石に『何も知らない』じゃ通らないだろう」という考えが浮かんで、今まで遮断していた情報に触れてみたんです。

結果は、悲劇的なものでした。
知れば知るほど絶望する、泥沼でした。
余計な好奇心を出してしまったことを、心底後悔しました。

 

優しい人たちと、傲慢な私。

今日より明日が必ず悪くなるとわかっていたら、「明日のために何かしよう」なんていう気持ちにはなれませんよね?
私の精神状態はそんな感じでした。
時間が経つことが怖くてたまらなくて、酷い抑うつ状態でした。

母親も、知人も、友人も、そんな私を見て「話を聞くよ」と言ってくれました。
「一人で抱え込むな」とも。

でも、一体何を話したら良いのでしょうか?
「心の時間が流れなくなった」「明日が来るのが怖い」以上のことは、言葉で説明しようがありません。

結局、私はいつも通りの解決法を選びました。
丸くなって、静かに自分と向き合って、浮力を待つ、いつもの方法。
「一人で抱え込む」解決法です。

 

根深い人間不信。

私にも一応友達はいますが、それは深刻な悩みを打ち明けるような相手ではありません。
むしろ「つらかったら話してくれ」なんて言われると、「ほっといてくれ」と思ってしまいます。

他の人の話を聞くのはどちらかというと得意なのですが、自分の内面を他人に打ち明けることには強い抵抗を覚えます。フェアじゃないとは思いますけれども。
抱え込んでいるとか、強がっているとかではなくて、自分の内面のゆらぎを打ち明けることが猛烈なストレスなのです。

私は他人に、自分の苦しみに寄り添ってくれることを期待しません。
自分の苦しみは自分だけのもの」という考えを持っていますし、それに、「友人」というヤツには、これまで期待した数だけ裏切られてきたので、諦めているというか、見限っているというか、そんな感じなんです。

心が揺らいだ時は、自分の力で立ち直るしかない

傲慢に見えるかも知れない、不憫にも見えるかも知れない、けれど、私にとってはそれが一番の解なんです。

……あ、具体的に何か困ったことがあって、他の人の知識を借りれば解決に近付く可能性がある、といった場合は、また別の話ですよ。
そういう時は助けてくれそうな人を探すし、話もちゃんと聞きます。

私が一人で戦って解決するしかないと思っているのは、得体の知れない不安であり、心のゆらぎであり、解決策がもとより存在しない「死にたい」気持ちや、抑うつ気分です。

 

みなさんは、どうですか?
抑うつ状態になったとき、無性に不安でたまらないとき、胸の裡をとりとめなく明かせる相手は、いますか?
もしもいるのだったら、それはとても良いことだと思います。

私は、「自分一人で抱え込む」しか解決方法を持っていないことを、悪い癖だと思っています。
でも、間違っているとは、思っていません。
……私は、他人の好意を拒絶する、傲慢な人間なのでしょうか。

 

今は、少しずつ、自分の時間が動き始めたのを感じています。
浮力、とまではいきませんが、時間が淀んでいるような感覚は無くなりました。
明日に向かって、また歩き始めます。