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おどりば

ロースペックうつ病患者のブログ。寛解をめざして!

体験を伴なわないインプットはブログの役に立たない。

コラムのようなもの コラムのようなもの-ポジティブ

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こんにちわ、サユです。

インターネットはKindle Unlimitedで大騒ぎですね。
初月は無料で読み放題ということで、早速私も登録しました。

……が、Kindle端末を持っていないのでiPhoneで読んでいます。目が疲れます。これだとあまり長時間は読んでいられないなぁ。
普段読書の習慣が無いので、欲しいと思ったことがなかったんですが、これを機に買うべきか、Kindle

でも、Kindle Unlimitedを継続するつもりはあまりありません。
読まなきゃ!っていう気持ちに追い立てられるのは嫌ですし、そんなにたくさん必死に読んだら頭がパンクします。もともと読書家ではありませんしね。

 

ブログを書く上で読書は欠かせないとよく語られます。インプットが無ければアウトプットできないはずだ、と。ネタ切れになる、と。

けれども、やたらめったらインプットすれば良いってものでもない。
自分の体験が伴わないインプットはアウトプットにはつながらない。私はそう考えています。

 

 

無意味なビジネス書。 

例えば私が低迷するブログのアクセス数を増やしたいがために、「お役立ち記事を書こう!」と考えたとします。
そのネタ元として、とあるビジネス書を読んだとします。

私は「ビジネス」とは縁遠いところで生きています。大学中退して無職(現在進行形)になった人間ですから、ビジネス書なんか読んでも正直ピンときません。社会人にとっては有用なノウハウも、うつ病療養中の私には何の役にも立ちません。

それでも、本の記述を引用して記事にすることは可能です。
優れたビジネス書ならば、受け売りだけの記事でも誰かの役には立つでしょうから、「お役立ち記事を書きたい」という当初の目的は果たせます。

ただ、書き手が私じゃダメです。

実体験と絡めて内容を膨らませることさえできない私が書いた記事は、間違いなくどうしようもない薄っぺらなものになります。
そんなもの、誰が読みたがるってんだ!!

 

どこかのウェブメディアに掲載される記事ならば、書き手が誰であろうと薄っぺらかろうと役に立つことが最優先でしょう。

けれども、私がやっているのは個人ブログです。

私にとってブログは、ちょっと大げさな言い方かもしれませんが、「自分の考えや生き様を発表する場」です。自分の感情がこもっていない言葉を並べたら意味が無い。

読書によってブログに書くネタを安易に探そうとしたことがありますが、ビジネス書を開いてすぐに出鼻を挫かれました。
この本、私が読んでも意味無いじゃん」って。

全く興味のない分野の専門誌を読むようなものでした。体験の伴なわないインプットは頭を膨らませて頭痛を招くばかりで、少なくとも私のブログの役には立たない。「ブログのために本を読むべきだ」っていうのは、何か違う。興味がある分野だから読むのであって、ブログの記事作りのために読むもんじゃない。

結局、私は私が体験したことしか記事にできません。
たとえアクセスが集まらなかろうが、収入を得るために効率が悪かろうが、ね。

 

 

 

自分の話しかできません。 

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ブログで記事を書いてて思うんです。
私は、ホントに私の話しかできないんだよなぁ、って。

最近始めたクラウドソーシングでは文章の中に書き手の姿が全く見えないような記事を書いてお小遣いを稼いでいますが、「そういうの」はクラウドソーシングだけで十分です。

ここは私のブログ。私の城です。
心の中から湧き上がってきた言葉だけを書き連ねておきたいじゃないですか。

 

願わくば、インプットしたものじゃなくて、自分の中で作ったものをアウトプットしたい。もちろん自分の中で何かを作るためには材料が必要だけれど、その材料は私の体験の中から集めたい。

最初から言葉の形をしている情報は、情報としての純度が高過ぎます。濃すぎます。インプットを読書だけに頼ると、頭が容量オーバーでパンクしてしまいそうなんです、私の場合。

もっと五感をフルに使って、いろんなことを体験して、言葉では無い形の情報を自分にインプットしてやりたい。

体験から得た「言葉ではない情報」を言葉としてアウトプットする、そこに書き手としての表現の「場」がある。そんな気がしています。

 

私にとっての読書は、どちらかというと言葉の使い方や発想を学ぶためのものであって、情報を集めるためのものではありません。アウトプットするための素材として、道具として、美しい言葉や面白い表現を知りたい。そのために本を読みます。

「効率の良い読書法」という考えに私が違和感を覚えるのはきっとその所為ですね。言葉を楽しむための読書ならば、「必要なところだけ読めばいい」と言う発想には至りませんから。

 

 

ブログを書くこと、生きること。

体験を伴うインプットを求めるということ。
それはつまり、ちゃんと現実を生きるということです。

ぼんやりしていたら何も心に残らないまま時間だけが過ぎていきますからね。
現実を生きないと、私はたちまちブログのネタ切れに陥ることでしょう。

私にとって、ブログを書き続けるということは、ちゃんと生き続けなければならないということ。

わーお(  ˙-˙  )

 

今日も、ブログによって現実につなぎとめられています。