おどりば

ロースペックうつ病患者のブログ。寛解をめざして!

オリンピックと「感動ポルノ」と私。

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こんにちわ、サユです。
最近ぼんやりと考えていたことを、綴ります。

 

 

オリンピックを見ている。

困難な環境や病気を乗り越えて栄光を掴み取ったメダリストの物語に触れると、私はどうしようもなく励まされる。

うつ病患者である私には、特筆すべき才能というものが無い。何かに打ち込んだ経験もない。学生時代には学生らしく勉強を頑張ったけれど、大学を中退してから1年経った今、勉強で得られたものは全て忘却の彼方に消えてしまった。何も残っていない。

私がうつ病を克服したところで、何らかの栄光に手が届くわけではない。
うつ病で人生の大半を棒に振った経験値の低い人間に、今更光が当たるとも思えない。
自分が「選ばれし者」ではないということくらい、10年前に悟っている。

それでも、苦難を乗り越えて栄光を手にする姿を見ると、この病気を乗り越えた先に何かがあるのではないかと、栄光と呼べるほどのものでなくとも小さな光のようなものが見えるのではないかと、希望を持たずにはいられない。

それなのに、ふと脳裏をよぎったのは「感動ポルノ」という言葉だった。

 

 

障害者は感動ポルノとして健常者に消費される - ログミー

障害者は「感動ポルノ」として消費されている。感動を呼ぶための道具として扱われている。そんな議論を耳にするようになった。

私は「感動ポルノ」の肯定的な消費者だった。

どんなに平気な顔をしたって世界は「健常者」に合わせて作られていて、障害を持っている人が苦労無しに生きていけるようにはなっていない。その苦労を物ともせずに前向きに生きている人達の姿を見ると、私もなんとかして必ずこのうつ病という厄介な敵を退治してやろうという気持ちになる。

だから、障害を持つ当事者から「感動ポルノ」という言葉が発せられた時、少なからず衝撃を受けた。苦労を強いられる生に立ち向かう姿に勇気付けられる自分は間違っているのだろうか、と。

私はうつ病患者だ。どちらかというと障害者に分類されるし、障害者手帳も持っている。加えて、願わくば闘病する自分の生き様が誰かに勇気を与えるものとなれば良いと思っている、いわば「感動ポルノ」出演志望者だ。

もしかしたら顰蹙を買うかもしれない。多少は覚悟している。

私は、うつ病の所為で多くのものを失った。だから、唯一この身に残された「障害者」という立場を全力で利用してやろうと思っている。「あの人に比べたら私は幸せだ」と思われることも厭わないし、それでその人の心が少しでも元気になるならば本望だとさえ思う。

もちろん、障害者は健常者を感動させる為に生きているのではない。
「障害」を一つの個性として受け入れてほしい、「普通」に扱ってほしいと願う気持ちも解る。常に健常者に見下されているという感覚に苛まれている人もいるだろう。

障害を障害たらしめているのは社会の不寛容に他ならない。障害者の姿を安易で便利な御涙頂戴コンテンツとして利用するメディアに、感動するだけでおしまいの大衆。障害者に優しくならない社会。
「感動ポルノ」という言葉に込められた憤りは深い。

それでも、私がブログを通じてやりたいことは、「感動ポルノ」になることなのだ。

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私は五体満足で生まれてきた後でうつ病になっただけの人間だから、人ごみの中を健常者のふりをして闊歩することができる。自分が障害者であることを告げなければ、障害者だと認識されることはまず無い。外見で差別を受けて苦しんでいる人の痛みは、想像することしかできない。

そもそも「うつ病患者」を「障害者」として扱うことに異論を唱える人もいるだろう。「お前なんか障害者じゃない」と言われるかもしれない。

けれど、私は、自分がうつ病患者として障害者に分類されることを積極的に発信することを選んだ。そこに生き甲斐を見出した。

ブログを通じて「誰かに勇気を与えたい」と思っていたことが、「感動ポルノ」という言葉と繋がってしまった時、私は落胆した。
だからと言って、生き甲斐が消えるわけじゃないけれども。

 

 

オリンピックで躍動する選手を見ながら、感動を呼ぶコンテンツにされるのは障害者だけじゃないのだなぁ、なんて考えてしまったから、「感動ポルノ」などという言葉を思い出したのだ。

苦難や不遇を乗り越えて栄光を手にした人は、感動物語の格好の餌食になる。
生涯「普通の人」には戻れないかもしれない。

パラリンピックが始まったらどんな報道がなされるのだろうか。
よくパラリンピックはオリンピックよりも報道における扱いが小さいという批判がなされるが、「感動ポルノ」になることに抵抗を覚える人にとっては大々的に扱われるよりも幸せなことなのかもしれない。純粋に「結果を出した」ことではなく、「障害を乗り越えて結果を出した」ことを報じられるに決まっているのだから。

大衆は感動物語が好きだ。ノンフィクションなら最高だ。そこをメディアが利用するのは、その是非はさておき、当然のことなのだろう。

 

 

現状、私は「感動ポルノ」にもなれない人間だ。
うつ病を克服したワケでもないし、うつ病と闘いながら何かを成し遂げたワケでもない。ただのうつ病患者だ。

うつ病歴15年、無職、30歳独身。こんな境遇の女が、いろいろ残念なことだらけだけど、それでも前向きに生きている」

そういうコンテンツに私はなりたい。
ポルノでも何とでも呼べばいい。
うつ病を、障害者という立場を、私に残された唯一のものを利用して誰かに勇気を与えることができるなら、私は喜んで見世物になろう。
ついでにうつ病についての理解が広まればラッキーだ。

そんな風に、思っている。