おどりば

ロースペックうつ病患者のブログ。寛解をめざして!

私の死生観。「死を選ばない」根本にある理由。

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こんにちわ、サユです。

ブログの更新間隔が「週刊」よりも開いてしまったので慌てて書いています。
なんだか、時間が流れるのが早いですね。
あっという間に7月も終わりが近くなってますし!!

さて。
今回は、私が「死」に対して持っているイメージについて語りたいと思います。

きっかけはこちらの記事。

menhera.jp

他のブログの記事を紹介してから私の考えを書く、ということをやると、紹介した記事が消去されたりブログごと消えてしまったりということが何度もあったので、最近控えていたのですが、メンヘラ.jpの記事ならばきっと大丈夫ですよね。

私が「死」に対する考えを語ると、私の「生きたい」という言葉が軽くなってしまう可能性があるかなぁ、という考えもよぎったのですが、……それはそれで仕方がないかな。
お暇でしたら、お付き合いくださいませ。

 

死ぬのが死ぬより怖い。

私は死ぬのが怖いのです。
とにかく恐ろしくてたまらないのです。

私にとって「死」は消滅です。
死後の世界があったら良いなぁと思っていますし、今は亡き祖父母は私を見守ってくれているハズだと考えてはいますが、今の所、誰も死後の存在を証明することはできていません。
多分、これからも不可能でしょう。

意識が消えて、二度と戻らないのが、私にとっての「死」です。
それがどうしようもなく恐ろしいのです。

魂とか、霊とか、そういうものを信じたいとは思います。
でも、どんなに信じようとしても、「人間の生命は化学反応の結果に過ぎない」という考えを捨て去ることができません。
私は、大学を中退するまで、生化学とか微生物学とかを中心に学んでいました。その所為でしょうか。

化学反応だけでは説明できない部分もある、とは思っています。
でも、もしも全てが科学で解明でき得るのならば、魂や死後の世界なんてものがあるハズがありません。
生命の停止が化学反応の停止ならば、死は意識の消滅です。

結局のところ、「死ななきゃ答えはわからない」のです。

私は、死が恐ろしいというよりは、ただひたすらに意識の消滅が恐ろしい。
二度と目覚めないことが恐ろしい。
死が消滅である可能性が1ミリでも残されている限りは、死が恐ろしい。

「解らないものを恐れるのは愚かなことだ」とよく言われます。
解らないから恐ろしい、という場合も往々にして存在するように思いますが、私の場合は「死が消滅である可能性」を解ってしまっているから恐ろしい、ということになるのでしょうか。

 

もしも死後の世界が証明されたなら。

私は、これまで何度も「死にたい」という気持ちに襲われてきました。
衝動に任せてタオルで首を絞め上げる程度の自殺未遂ならば経験があります。
そんな時に、最後の最後のラインで私を死から遠ざけたのは、理性ではなくて、原始的な「消滅への恐怖」でした。
どんなに死にたい気持ちがあっても、消滅の恐怖の前では萎えてしまったんです。
「そのお陰で私は今日まで生きてこられた」と言っても、言い過ぎにはならないでしょう。

もしも、死後の世界が私にも納得できる形で証明されたならば、私は簡単に死を選ぶようになると思います。
「消滅しない」ことさえ判れば、もはや死を恐れる理由はありません。

もしも、私が何らかの宗教に帰依していて、子供の時から「死後の世界はある」と教わり、それを心から信じて育っていたならば、今頃私はこの世にいなかったでしょう。
生きる意味とか、死ぬ意味とか、そんなのはどうでもよくて、ただ消滅が怖いお陰でここまで生きてこられた人間ですから、「死が消滅である可能性」が無い環境で育った自分が、生き続けられるとはとても思えません。

「何故生きるのか」と問われたならば「死ぬのが怖いから」と答える。
それが私です。
「死にたい」と訴える人に「私は生きる」と力強く訴えておきながら、実際はこんなものなんです。

 

死ぬまで死を恐れ続ける。

「死んでしまえば何も感じない。恐怖も感じない。だから死を恐れる必要はない」というのは、哲学者の言葉だったでしょうか。
誰の言葉だったかは覚えていないのですが。

私としては「その『何も感じなくなる』っていうのが怖くてたまらないんですけど!!」って感じなのですが。
死ぬことが怖いんじゃないんです。死によって二度と何も解らなくなって消滅してしまうことが怖いんです。

私の寿命があと何年残っているかは判りません。
死神のダーツ」にうっかり当たって、明日死ぬかもわかりません。
でも、死ぬその瞬間まで、私は死を恐れ続けると思うのです。死にたくないと、生きようとし続けると思うのです。

それが良いことなのかどうかはわかりません。
「死」が脳裏をよぎるたびに「自分はいつか消滅するんだ……怖い怖い怖い」となっている私の状態が、他人にお勧めできるものだとも思いません。
ただ、私の「生」を、下から支えてくれているのが「死への恐怖」であることは、事実です。

 

誰でも良いから、私が死ぬまでに、死後の世界とか、魂とか、そういうものの存在を私に確信させてくれないだろうかと、この不安から解き放ってくれないだろうかと、……思うのですが、多分無理ですよね。
いわゆる霊感と呼ばれる能力を持ち合わせていれば、こんな不安に苛まれることもなかったのでしょうけれど、無いものは仕方がありません。

いつか、どこかで悟りを開くように、死を受け入れられるようになる瞬間が来るのでしょうか。
……来てほしいなぁ。