おどりば

ロースペックうつ病患者のブログ。寛解をめざして!

うつ病絶対治すマン、噴火。

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治らないくらいなら死んじゃうよ

私はそう吐き捨てた。
母親以外の前では口にしたことのない言葉をとうとう使ってしまった。
背筋から脳天に向かって、一回、二回、悪寒を伴う震えが駆け抜けた。
恐らく目は血走っていただろう。

うつ病と闘わず、今のままどうやって楽に生きていくかを考える生き方もある

友人の知り合いにうつ病患者がいるという。
その知り合いは、うつ病と闘うような生き方はしていないのだという。それで十分に楽しそうなのだ、と。

うつ病と闘おうとするあまり病状を拗らせているのではないか」と、友人は私に対して指摘したのだ。

血液が沸騰する音がした。

友人は医療機関に勤めているが、うつ病については恐らく詳しくない。
うつ病はあくまで心の病気であり、体の健康とは切り離して考えられるものだという意見を持っているようだった。
ついでに栄養療法に関しても極めて懐疑的であったが、まぁそれは仕方のないことだろう。実施している私だって半信半疑なのだから。

 

 

病に臨む患者の心の裡。

末期のガン患者に対して「治療をやめて、余生をできる限り楽に過ごせ」と言ったら、どんな反応が帰ってくるだろうか。

私の祖母は、最後までガンと闘って力尽きて亡くなった。
西洋医学に匙を投げられた後も、エビデンスなんて無い民間療法にだって縋って、最期まで治すことを諦めなかった。

その姿を、私は不憫だとも思ったが、同時に尊敬した。
自分ならきっと、そんな苦しい治療なんか諦めて、粛粛と死ぬだろう。そう思った。
健康だったその頃の私は、患者の「治したい」気持ちの強さをまだ知らなかった。

今、私は自分の中に祖母の血が確かに流れているのを感じている。

現状を受け入れろ?うつ病と闘うことを諦めろ?冗談じゃない!

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私にとって現状は地獄だ。
どんな喜びも、楽しみも、達成感も、私を動かすことはできない。
何かができて、嬉しかったら、それで終わりだ。
もう一度あの喜びを味わいたい、とは思わない。

登山が好きな父親は、山の上の景色が見たくて何度でも山に登るのだと語る。
山頂の景色が父親に齎す、登山過程の苦労を乗り越えてでももう一度欲しいと願うほどの喜びとはどれほどのものなのか、私には想像することができない。

一切の感動がモチベーションにならないのだ。
身も蓋もなく言い換えれば究極のものぐさに取り憑かれているのである。
どんな喜びよりも、楽しみよりも、達成感よりも、面倒臭さやしんどさが勝ってしまう。
そうして私は動くことすら出来ない。

面倒臭さとしんどさに四肢を押さえつけられた人生を、私は心底地獄だと思っている。
もしもこの状態が生涯続くと確定したら、私はすぐに人生を終わらせることに決めている。
いつかこの地獄から抜け出せると信じているから今を生きていられる、というのは常々話している通りだ。

かくして冒頭の「治らないくらいなら死んじゃうよ」という発言に至る。

 

 

うつ病絶対治すマン。

不幸なことに、うつ病はガンではない。
治らなくても、うつ病だけでは死なない。
代わりに、治らなければ、私にとっての生き地獄が死ぬまで続く。
それが耐え難い。

友人の知り合いは、恐らく私よりも症状が軽いのだろう、と思う。そうでなければ本心を語っていないのか。
あくまで友人の話であるから実際のところはどうなのか判らないが、とりあえず楽しくできることだけをできる範囲でやりながらうつ病と共に生きるというのも一つの選択肢だろう。
もしかしたら、そのくらいの気軽さでいた方が病状が改善することだってあるのかもしれない。

ただ、私は、自分のうつ病が長引いているのは、うつ病と闘おうとしてこなかった結果だと思っている。
「できることだけやって、楽なようにしてれば、そのうち治るだろう」という考えを「うつ病と闘って治す!」に切り替えたのは、今年に入ってからのことだ。
過ぎたことは取り返しがつかないが、それ以前の自分は怠慢が過ぎた。
自分の病にちゃんと向き合っていなかった。

私のうつ病は、共存するにはあまりにも重い。
共存するよりも死を選びたいと願うほどに、私にとっては重い。
だから、どうしたって治したいのだ。
うつ病を治そうとすることが、私が生きることに直結するのだ。

 

冒頭の発言のその後、友人が私の地雷を踏んだことを察した他の友人が何気無く話に割り込んでくれたお陰で、何事も無かったかのようにその場は流れていった。
友人は元来言いたいことをポンポン言う性格なので、この程度の衝突で仲が悪くなるようなこともない。

ただ、友人の言葉は私の中で少し弱っていた炎に思いっきり燃料を注いでくれた。
爆ぜる音の代わりに、悲鳴のような叫び声が聞こえるのだ。

絶対に治してやる、と。
生きてやる、と。

しゃくりあげながら、繰り返し繰り返し叫ぶのだ。

 

ガンと闘っていた祖母の胸の裡にも、こんな炎があったのだろうか。
こんな声が、響いていたのだろうか。

 

(という話を母親にしたら、「いくらなんでもそれじゃ疲れるよ」と言われたので、もうちょっとだけ力を抜こうかな、それでもやっぱりうつ病は絶対に直してやるぞこの野郎、なんて思いましたとさ)