おどりば

ロースペックうつ病患者のブログ。寛解をめざして!

幸せになりたいなら思いやりなんか捨てろ、って言われたら反論できなくて困った。

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こんにちわ、サユです。
最近悩んでいることがあります。

もし、「幸せになりたいなら思いやりなんか捨てろ」って言われたら、あなたはどう答えますか?

「幸せになりたいなら思いやりなんか捨てろ」を、否定することができない。
「嫌だから嫌だ!」という理由でしか反論できない。
それが、今の私の悩みです。

 

 

思いやりを捨てた方が幸せになるなんて思いたくない。

思いやり。
大事ですよね?思いやりって。
相手の立場に立って物事を考えてみよう、って、学校でも教わりますよね。

私は、「自分の価値観が誰かを不愉快にする可能性について神経質なタイプ」です。
自分のブログの記事に意見が寄せられたら基本的に全部読むし、「これは受け止めよう」「これは罵詈雑言の類」「これはタイトルしか読んでない意見だな」と、分類して必要な分だけ拾って咀嚼する作業が嫌いではありません。

そして「受け止めよう」と思った意見が時折、今まで私が立ったことのなかった視点からの新しい風景を見せてくれる、その瞬間が好きだったりします。

自分の意見をコテンパンにされるのは、もちろんツライです。こたえます。
ですが、説得力のある批判に出会った時の「あぁ、同じ物なのに、こんな風に見ている人もいるんだ」という、何か新しいものを発見したような爽快感は、なんとも言えない、気持ちの良いものなんです、私にとっては。

……いや、決してマゾ気質なワケではありませんよ?

 

でも。
もしも、批判に耳を傾けることなく、自分が持たない視点に思いを馳せることもなく、自分の価値観を押し付けて他人から顰蹙を買うことに何も感じなかったならば、私はきっと、いや間違いなく、今よりも楽しくブログを続けることができるでしょう。

狭い視野で捉えるのは自分のことばかりで、自分がやりたいことを自分がやりたいようにやって、自分が満足すればそれでOK。
他人に不快に思われたって関係無いし、気付きもしない。

そんな生き方ができたなら、どう考えても幸せだとしか思えないんです。

 

でも。
でもでも。
私はそんな人間になりたくない。
思いやりを捨てた方が幸せになれるなんて思いたくない。
他人に不快な思いをさせることに鈍感な人間の方が幸せだなんて、認めたくない。 

認めたくないけど、「幸せになりたいなら思いやりなんか捨てろ」という言葉を否定することができない。反論できない。

悩んでます。

 

 

自信がある人ほど他人の価値観に疎い気がする。

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世の中の全員が強くて優秀で自信に満ち溢れていれば、この世に思いやりなんて必要無いのかもしれません。

自己中心的でいられるってことは、自信があるってことでしょう。周りを見たいとも思わないほど、今が満たされてるってことでしょう。

でも、世の中そんな人ばっかりじゃない。
成功している人がいて、成功できない人がいる。

成功できない人が成功している人のことを真剣に批判するのを一絡げに嫉妬と呼ばないで欲しいですよね。
成功できない人にも「価値観」ってのがあって、そこから外れたことをやってる奴はどんなに成功してたって気に食わないですよ。
もちろん、嫉妬要素なんか1%も無い!とは言えないだろうけれども。

でも、悲しいことに、成功してる人にとっては、自分の価値観が全てなのです。
だってそれで成功してるんだから。
成功してない人の価値観なんてクソより役に立たないと思ってる人もいることでしょう。「できない奴はマインドからしてダメ」なんて、救いの無い言葉を時折耳にします。

彼らが、成功していない人達の価値観を思いやることは無いでしょう。
だって必要が無いから。
きっと、私が批判から得る「こういう物の見方があるんだ!」という発見とは無縁なんでしょうね。

成功している人達が行うのは「自分の価値観が正しい」という主張だけです。
それを、まさか「自分の価値観を押し付けている」だなんて思いもしないでしょう。
自分は正しくて、だから成功していて、成功してない「間違った」価値観の奴らに「正しい」考えを教えているんだと信じているに違いないですから。

押し付けられる方はたまったもんじゃないのだけれど。

 

そんな「自分は正しい」という自信に溢れた人達に反感を覚えないのは、価値観を押し付けられても平気な人達だけです。
価値観を押し付けられても平気な人達っていうのは、押し付けられても苦じゃないくらい価値観が似ているか、違った価値観を押し付けられても気にならないくらい「自分が正しい」と思っているかのどちらか。
それ以外の人は、違う価値観をゴリ押しされたら不愉快でしょう。

自分の価値観のままに生きて、自分の価値観を示すことで不快に思う人がいる可能性を考えない、誰かを傷付ける可能性を考えない。
そんな思いやりの無い人間でも、成功していれば似てる人と自信がある人(あと、媚びを売りたい人も含まれるかな?)は集まってきます。
逆に、価値観の違いに耐えられない人は離れていきます。
自然と、都合の良い人間だけが周りに残ることになる。

つまり、自己中心的に生きていれば、生きやすい環境が勝手に出来上がるんです。
素晴らしいカラクリですよね。

やりたいことだけやって、自分が正しいと思ったことを語って、同意してくれる人だけが周りに居て。
どう考えても幸せです。

 

何も、「成功」と呼べるほどの偉業を成し遂げなくても、今の自分の人生に満足して、自分の生き方に自信を持っているなら、自己中心的に生きれば全てが上手くいくでしょう。
心は平穏だし、環境は自然と整うし、誰もあなたを邪魔できない。 

自己中心って、視野が狭いって、最高じゃん。

そう思うのに、理解はしているのに、やっぱり認められないんです。
「思いやりなんか捨てた方が幸せになれる」ことが、どうしても許せない。
納得いかない。

 

 

思いやりを捨てられない私は成功できない人間なのか?

「思いやりなんか捨てた方が幸せになれる」が許せない、というのは、私個人の価値観です。
他人を思いやることに重きをおいている私の価値観です。

私はストレングスファインダーで「共感性」と「親密性」が特長だと言われたほどの人間ですから、思いやりは尊いものだと思っているし、そうであってほしいと願っています。

私は、主張したいことは頑張って主張します。
議論は苦手ですがいろんな人の意見を聞くのが好きです。
でも、相手をまるっきり否定することはありません。
時々自分と違う意見に対して見下すような心境になってしまうところは、反省しています。

私は自分に自信がありません。
三十路目前で自立もできていないうつ病人ですから、圧倒的人生の負け組です。
でも、もしこの先何か奇跡が起こって、自分に満足できる人生を送れるようになっても、他人に自分の価値観を押し付けることはしたくない。自分の価値観が所詮は多数の中の一つに過ぎないことをわきまえて、違う価値観の人を自分と同等に尊重したい。

 

「どんな価値観でも尊重する」とは言いません。

時々「どんな価値観でも尊重する」「多様性を認める」と言いながら自分が受け入れられない意見に対して攻撃する人を見かけますが、それは「どんな価値観でも尊重する」などと言ってしまったことが間違いなのであって、その人の思想がブレてるわけじゃないんですよね。

人間には許容範囲ってものがあります。こんなことを語っている私だって、尊重できる範囲の外にある意見には、自分の価値観で攻撃するようなこともあるかもしれない。

でも、できるだけ、できるだけ許容範囲を広く。
できるだけたくさんの価値観と握手できる人間でありたいと願うのです。

 

こんな私は、思いやりを捨てることのできない私は、自ら余計な苦労を背負っている私は、思いやりを捨てることができる人と比べたら、劣った存在なのでしょうか。

認めたくないけど反論できない。
悩んでます。