おどりば

ロースペックうつ病患者のブログ。寛解をめざして!

SNSの影響力の限界を見た、ような気がした。

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こんにちわ、サユです。
今回はうつ病とは全く関係無い話です。
個人的に思ったことというか、気付かされたことというか…。

 

衆議院選挙が終わった。

選挙戦が始まってから投票日前日まで、Twitter上では様々な人が「選挙に行こう」と呼びかけていた。
私のようなフォロワーの少ないアカウントから、アルファツイッタラー(でしたっけ?)と呼ばれる大量のフォロワーを抱えるアカウントの持ち主まで、本当に様々な立場の人が「選挙に行こう」と呼びかけていた。

いくつかの秀逸な呼びかけにはたくさんの「いいね!」が付けられ、リツイートという形で広まり、「投票に行く」意識は広い範囲の人々へ、確実に浸透していった……かのように映ったのだ、少なくとも私の目には。

ところが、この結果はどうだろう。
選挙の結果ではない。投票率の数値だ。

あれほどTwitter上の私の観測範囲(決して狭くはないと思うのだが)では「選挙に行こう」という呼びかけが為され、私のタイムラインは「投票してきた」という報告で溢れたのに、それでも蓋を開けてみれば、53.60%……戦後二番目に低い投票率となった。

投票日の昼頃、投票率の低さが判明した時、私はひどくがっかりしたのだ。
私がTwitterで見たものは一体何だったのかと。

あれほどのフォロワーを抱えた影響力があるハズのアカウント達が、あるいは多数リツイートされたつぶやきが、「どんなに今回の選挙が無意味だと思っても投票には行くべきだ」と説いていたというのに、過去最低だった前回より微増した程度だったなんて!!

SNSの限界、という言葉が脳裏を過ぎった。

 

念の為に言っておくが、私はここで自分の政治的信条について語るつもりは無い。
今回の選挙の結果についても、個人的な感想を述べることは差し控える。

ついでに、投票率が上がれば選挙の勝者が変わるとも考えていない。
個人的には、投票に行かなかった人達は消極的与党支持者である場合が多いのではないかと思っている。
野党が劣勢なんてことは早いうちから判ってるんだから、野党支持者なら頑張って選挙に行くと思うんですよね。

どんなに投票率が低くても、選挙が成立して結果が出たのなら、それが自分の意に沿おうが沿うまいが受け入れるしかない。
多数決というのはそういうルールだ。

 

話が逸れたので元に戻す。
私が今回衝撃を受けたのは、選挙結果ではなくて、投票率の低さだ。
選挙に行く事の重要性や、選挙に行かないことの愚かさを、解りやすく簡潔に説いたツイートがあんなにたくさん拡散されても、投票率は大して上がらなかった。

日本においてはインフラと呼べるほどの存在感を持っているTwitterでも、この程度なのか。
ネット上の呼びかけが齎す効果は、この程度なのか。

確かに台風の影響はあっただろう。だが台風に備えて期日前投票をしようという呼びかけもTwitter上では為されていた。選挙に参加する意思があるならば、台風の襲来はそれほど大きな障害ではないというのが私の感覚だ。

インターネットで選挙活動ができるようになって、いろいろなことが良い方に変わると期待されていた時期もあったけれど……大して変わらない、むしろ余計なフェイクニュースが跋扈する分だけ悪くなっているようにも思える。
そういえば今回の選挙でも、フェイクだと既に指摘されている話がいつまでも拡散されているのを目にした。なんとかならんのですかね、ああいうのは。

 

Twitterを通して眺める世界は、時に絶望的だ。
遠慮無く露出された人間の醜い面を目の当たりにして、こんな世界でこれ以上生きていたくないとさえ思わされることがある。

だが、今回の選挙結果は、決してTwitterから見えるものが世界の全てではないと私に示してくれた。

Twitterから見える世界は狭いのだ。
ごく一部でしかないのだ。
そんなことは昔から判っているつもりでいたけれど、実感を持って確認できたのは今回が初めてだった。

どんなにTwitterで盛り上がっている勢力があっても、それが現実に巨大な勢力であるとは限らない。
この国の大半の人間はTwitterの外にいる。
Twitterでどんなに大きな影響力を持っても、現実社会に与えられる影響はささやかなものなのだ。その程度なのだ。

 

私は現在自宅で半寝たきり半引きこもりの生活をしていて、Twitter以外に外界と接する機会が無い。
Twitterを覗けば日本の縮図が見えると、どこかでそんな風に思い込んでいた。
Twitterで活発に発言している人限定で投票率を調べたら、実際の投票率より遥かに高い数値になることだろう。
だってみんな「投票行く」って言っていたもの。
「投票行った」って言っていたもの。

私が見ていたのは日本の縮図なんかではなかった。
Twitterの外側の人達に、Twitterの内側の人たちと同じ行動を期待するというのは、少々楽観的過ぎる考えだった。

インターネットの普及によって世界は狭くなったと言われることがあるけれど、まだまだ世界は広い。
見えていない部分がたくさんある。

そう思った時、私は安堵したのだ。

それは、Twitter上で大きな影響力を持つ人達の言葉に共感できないことが多々あるからかもしれない。
良くも悪くも声が大きい人が目立ち、目立ったもん勝ちの傾向がある昨今の仕組みへの反感かもしれない。

「どんなに支持されているように見えたって、所詮は狭いTwitterの中での話だ」

大きな声を出せない人間の負け惜しみのように聞こえるかもしれないが、SNSの影響力の限界を目の当たりにして、私は少しホッとしている。

 

今の所、Twitterで世界は動かせない。
ただ、今後SNSの影響力はさらに増していくことになるだろう。単純に、SNSを活用する人はこれからも増えていくだろうし、逆にSNSを使わなくなる人が大幅に増えるという事態は考えにくい。
いつかは、インターネットを覗けば日本の正しい縮図が見える時代が来るのだろうか。
その時、日本はどんな国になっているのだろうか。
インターネットで投票できる仕組みくらいは、できあがっていれば良いのだけれども。

 

そんなことを、考えました。