おどりば

ロースペックうつ病患者のブログ。寛解をめざして!

自己中心的に生きる。何より自分を第一に、余所を見るのはそれからだ。

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こんにちわ、サユです。
先月末からうつ症状が悪化し、生きているのが苦しい日が続いていましたが、ようやく出口が見えてきたのでブログを書きます。
いろいろと見失った時に自分を立て直すためにブログを書くのが私の精神安定法ですが、今回もそういった類のエントリです。
そろそろ専用のカテゴリーを作ったほうが良いだろうか…?

うつ病の治療法として「日記を付けて、体調が悪くなる原因となる行動を究明する」というものがあります。

初めてこの話を聞いた時は半信半疑でした。
体調なんていつどうなるか判らないから困るのであって、何かがキッカケで悪くなるなんていうわかりやすい話があるのだろうか、って。

でも、うつ病歴が長くなって、自分の病状と向き合う時間が増えるにつれて、「原因を取り除くことによって症状は改善される」「体調が悪くなるのには何かしらの原因がある」ということが、経験則としてわかってきました。

本当に体調が悪くなってしまうと、「今」を生き延びるだけでいっぱいいっぱいで、原因を探す余裕なんてものは残らないというのが現実ですが……とにかく寝まくったら少し回復したので、月末にかけて何か変わったことをしてないだろうかと、考えてみました。
すると、思い当たるものが一つ。

 

 

マイナスのニュースを浴びすぎた結果。

Twitterのフォロワーがもうちょっと増えたら嬉しいなぁ、と思ったのが事の始まりでした。

フォロワーを増やすためには、それなりの情報を発信する必要があります。
発信する情報を仕入れるために、うつ病に関わる話や、過労、貧困、いじめetcのトピックを数多くRTしているアカウントをいくつか新しくフォローしました。
「そういうの」が、私に求められる発信内容だと思ったからです。

また、仕入れた情報をきっかけにブログを書くことができるかもしれないという思惑もありました。
最近、「うつ病患者の主張!」みたいに健常者を敵視するような勢いで意見を述べることはもはや時代遅れだと感じていて、だとしたら私は一体ブログで何を発信したら良いのだろうかと、……まぁ要するに慢性的なネタ切れなので、なんとかしたかったんですよ。

そんな思惑からフォローしたいくつかのアカウントは、私の期待通り、世の中で弱い立場にある人達の苦悩を、「死にたい」とまで思うような状況にある人達の声を、世の中に溢れる様々な問題を、次々とRTして私に見せてくれました。

すぐに、私のTwitterのタイムラインにはツライ話がずらりと並ぶようになりました。
いじめ、障害、差別、体罰、自殺、貧困、逃げ場がない人達…。
苦しんでいる人は際限無く存在します。探せばいくらでも見付かります。

私はいわゆるツイ廃と呼ばれる人種だと思います。
暇さえあればTwitterを眺めているし、何もやる気になれない時でもTwitterだけはやれたりします。
Twitter依存症と言われても否定できません。

私にとっては、Twitterのタイムラインが「目に見える世界の全て」と言っても過言ではない状態です。外界との窓口がTwitterなんです。

もしも「目に見える世界の全て」が苦悶の声やツライ話で占められるようになったら、どうなるでしょう?

私は「この世界は地獄である」と感じるようになりました。
これ以上生きてても何も良いことはない、ツライことばかりだ、早く死にたい」……そんな考えが、振り払っても振り払ってもまとわりついてくるようになっていました。

マイナスのニュースで狭い視野がいっぱいになった結果、将来に希望が持てなくなって、「ささやかにただ生きている」ことに価値が見出せなくなった。
それが、今回の体調不良の原因でした。

 

 

「思いやり」もほどほどに。 

「生きづらい」人達の声に耳を傾け、人生のレールから脱線した人間の1人として物申していくことが、私の「あるべき姿」だと勝手に思っていました。

私は「思いやり」を大切なことだと思っています。
苦しんでいる人がいたらなんとかしてあげたいと思うし、嘆きが聞こえたら耳を傾けたいと思います。

でも、ブログにSOSが送られてきた時にも、TwitterのDMから「死にたい」と何度も訴えられた時にも、結局私にできることなんか何も無くて……苦しんでいる人に同調して自分まで苦しくなり、何もできない自分にムカついて苦しくなり、自分を愚痴のはけ口に利用する人に腹を立てて苦しくなり、「思いやり」を発揮しようとする度に体調を崩してきました。

私には、他人の苦しみまで受け止める強さが無いのです。
他人の苦しみを受け止めると自分も立っていられなくなって、「死にたい」って訴えられたら自分も死にたくなるんです。

ならば、私は現在苦しんでいる人達の声を聞くべきではないのでしょう。

「生きづらい」人達の声に耳を傾け、人生のレールから脱線した人間の1人として物申していく、という私の理想像には、根本的なところに無理がありました。

まずは、私が生きていなけりゃ話にならないのです。
自分が死にたくならずに生きていられて、その上で余裕があったら他人のことを考える。
その程度じゃなければいけないんです。

 

 

自己中心的生存戦略

自分を犠牲にして他人の苦しみを受け止めることを美徳であると考える人も世の中にはいるでしょう。
私は弱いのでそういう風にはなれません。
これは能力的な不足です。私のメンタルの弱さゆえです。

自己中心的に生きること。
それが私の生存戦略です。

私の命にとって現状最大にして逼迫した脅威は、自死です。
生きることを楽しいと思えなくなった時に押し寄せる「死にたい」気持ちです。

そんな綱渡りで日々を送っている人間に、他人に手を差し伸べる余裕があるハズがなかったよ。
綱渡りに集中しなくちゃダメですよね。余所なんか見てる場合じゃない。

他人に手を差し伸べて、うっかり自分が真っ逆さまに落ちたって、誰も助けてはくれないんです。
手を差し伸べた相手に「お前に手を差し伸べた所為で落ちた」と訴えても、相手も自分の苦しみでいっぱいいっぱいですから、そんなん知ったこっちゃないでしょう。
精々第三者に「自分のことも支えられないのに他人を助けようとする偽善者」なんて嗤われる程度。
そんなのは御免です。

 

 

やりたいことはなんだろう。

自分が生きてて楽しいと思ったことを発信して、それを読んでくれた人がちょっと苦しみから気を紛らわせられるような、そういう感じが理想です。
できればブログもTwitterもそういう方向に育てていきたい。

儲からないだろうし、たくさんの人に読まれることも期待できないけれど、メンタル弱者としては自分が綱から落ちない方向を向いて生きて行くしかないと思うので、これからも一番楽に生きられる方法を模索していきます。